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実家暮らしのつれづれ | 10/11 趣味の塩梅

あっという間に時間が経ってしまった。
執筆する時間がないほど忙しいのではなく、穏やかで単調な毎日すぎて、特別なことを綴るほどのことが起こらない。
それに加えて、自分で”エッセーふう”なんて掲げてしまったせいで、心地よい文にならないとブログにしようなどと思えないのだった。

もっと気楽なものにしよう…(って最初に書いたはず、笑)

さて、今日は自分の趣味である楽器演奏について、少々重い話を書き留めておきたい。
誰ひとりにも相談したことはなく、もう5年ほど自分ひとりで気持ちの整理をつけてきた。すこしだけ光が差してきた気がしていて、なんとなく、この数年間の葛藤を記録に残しておく必要がある、という気持ちに駆られている。

————

ある日突然、昨日のように楽器が弾けなくなっていることがある。
数年前からもう4、5回ほど、これを経験している。元に戻す方法はたったひとつで、とにかく楽器に触らないこと。間が空けば空くほどいい。

何度か経験して分かったことは、
・何時間も弾き続ける日が数日続く
・プレッシャーのかかる本番を控えている
という状況下で発生しやすいらしい。

学生時代は、週に3回練習があるから休むわけにはいかず、トップとして先輩としてお手本を見せなければというプレッシャーも相まって、余計に酷くなっていた。
カルテット規模の合わせがあればその状況が露呈してしまうし、「もっとこうできない?」という問いに対して「今ちょっと調子が悪くて…」と返すときの辛さといったら。自分がいちばん、「こうしたい」のである。
さらに追い討ちをかけるのが、昨日まで、この前までは「こうできていた」という事実。過去の録音を聞けばできている自分がいるのに、今それができない。

基礎からゆっくりやり直そうとしたけれど、一定のラインを超えるととたんに制御不可になってしまう。何か身体の状態が変わったのかと思い整体に行ったりストレッチを続けてみたりしても、そういうことではないらしかった。

それがつい最近、現在進行形でまた起こっている。
おそらく人生最後になるであろう大曲のトップソロも、大好きな人たちとの本番もこの状態で臨んだ。”しばらく一緒に弾けなくてさみしい””楽しかった”という気持ちと裏腹に、暗く冷たくのしかかる自分への失望。

それでも一生音楽を続けていきたいから、この現象がなんなのか、時間と心に余裕がある今のうちに向き合ってしまおう、と心に決めた。

ひとつの可能性は、イップスとかジストニアになりかけているということ。
オーバープラクティス、精神的な負荷や、突然起こることが思い当たる。さらに、ジストニアになる人には先天的な兆候がみられることがあるそうで、そう思うと元々左指に制御できない動きがあったのが気にかかる。
もしそうなのであれば、本番に向けての練習スケジュールを配慮するしかない。これから本番自体も、今までのようには入れていられない。フランスでどれだけ楽器を弾く機会があるのかは分からないのだけれど。

もうひとつの可能性は、無理な体勢で弾いているために長時間の練習で身体が悲鳴をあげる、ということ。
こちらの原因だと決めてかかってみて、しばらく根本的解決に向けて取り組んでみることにした。

そもそも、楽器を始めた高校時代の持ち方は完全オリジナルで(完全オリジナルな先輩から代々指導を受けて)、大学でゼロから見直して数年、自分の弾き方はどこか間違っている気がする、と思い続けている。肩にできた不自然に大きいアザが、それを物語っている気がする。

プロの指導に頼らずできることは限られているけれど、まずは弾く姿勢を見直し、肩当てを変えて、基本の教則本をやり直してみている。
これまでこの現象に対して「弾かない」という解決策しかとれなかったところを、週に何度か楽器を触りながら身体と向き合う。正直、このまま治らなかったら、という気持ちも拭えずめちゃくちゃ怖い。
でも、練習終わりの身体の状態が少しずつ改善されていて、なんとなく快方に向かっているように思える。弾き方も周りの上手な人と同じように動かせている気がして、やっぱり弾き方に原因があったのかもしれない。もうすこし、がんばってみようかな。

趣味で音楽をやっているのだから、それで苦しむくらいなら関わりかたを変えたほうがいい、と思う。思うのだけど、どうしてもまだ諦めがつかないので、幸いにも時間があるうちにもうひとあがきしてみよう。
未来の自分に期待して。

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